西郷南洲翁の名言集 1828-1877
- 石田卓成

- 3月5日
- 読了時間: 15分
更新日:10月4日
1. 「命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬというような人物は始末に困るものである。このような手に負えない人物でなければ、困難を共にして、国家の大業を成し遂げることはできない。」
解説:これは西郷のリーダーシップ論の核心を示す逆説的な言葉です。「始末に困る」とは、世俗的な価値観(生命、名誉、地位、金銭)で動機づけたり、コントロールしたりすることができないため、「扱いにくい」という意味です 。しかし西郷の真意は、国家が存亡の危機に瀕するような未曾有の困難に立ち向かう時、頼りになるのは、まさにこの世俗的な利害を超越した「始末に困る」人物だけなのだと説く点にあります。自己の利益を顧みない無私の人物だけが、国家という公のために全てを捧げることができるからです。
2. 「政治の大要は、教育文化を盛んにすること、軍備を充実させること、および勧農の三つである。そのほかの政治上のことは、すべてこの三つの課題を実現することとかかわっている。」
解説:西郷が提示する国家運営の三つの柱は、それぞれが国家の存立に不可欠な要素を担っています。「文を興す」とは、教育や文化を振興し、国民の知徳を高め、有為な人材を育成すること。「武を振ふ」とは、軍備を整え、国の独立と安全を保障すること。「農を励ます」とは、国家経済の基盤である農業を奨励し、民の生活を安定させることです 。西郷は、これら以外のあらゆる行政事務は、この三つの基本政策を実現するための「道具」に過ぎないと断言します。
3. 「国民の上に立つ者は、いつも心を慎み、普段の行いを正しくし、驕りや贅沢を戒め、つつましくすることに努め、仕事に励んで人々の手本となり、国民がその仕事ぶりや生活を気の毒に思うくらいでなければ、政府の命令は行われにくい。」
解説:指導者に求められるのは、単なる尊敬や信頼の獲得ではありません。西郷にとって、為政者の自己規律は、それ自体が国家統治の根幹をなす最も重要な行為です。指導者が自らを慎み、質素倹約に努め、職務に精励する姿は、国民全体の道徳的な「標準」を形成します 。そして、その私心なき働きぶりが、民衆から「あそこまで身を粉にして、お気の毒だ」と思われるほどの域に達して初めて、政府の命令は真の権威を持つと説きます。これは単なる理想論ではなく、維新後の同志たちが私腹を肥やす姿を目の当たりにした西郷の、痛切な現実批判でもありました 。
4. 「幾度となくつらく苦しいことを経験してこそ、人の志は初めて堅固になる。真の男子たる者は、玉のように砕け散ることを本望とし、志を曲げて瓦として無事に生き長らえることを恥とする。我が家の家訓を世間の人は知っているだろうか。それは子孫のために財産を残さないということだ。」
解説: この言葉は、西郷の倫理観と行動原理の全体像を示す極めて重要な漢詩(原文:「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し。丈夫は玉砕を本懐とし甎全を愧ず。一家の遺事 人知るや否や。児孫の為に美田を買わず。」)です。前半では、数々の苦難を経てこそ揺るぎない志が確立され、義のためには死をも恐れない武士の覚悟が示されます。しかし、この詩の真髄は後半にあります。前半で鍛え上げられた高潔な精神が、最終的に「公の地位を利用して子孫のために私的な富を蓄積しない」という具体的な行動規範として結晶化するのです。個人の精神修養、武士としての死生観、そして為政者としての経済倫理が、この一つの詩の中で分かちがたく結びついています。
5. 「過ちを犯したことを悔やんで、あれこれと取りつくろおうと心配するのは、何の役にも立たぬことである。」
解説:西郷は、過去の過ちに対する向き合い方について、極めて実践的な姿勢を説きます。重要なのは自らの過ちを率直に認識することであり、その上で過去に固執し、言い訳や体面を取り繕うのは完全に無益であると断じます。彼はこれを「割れた茶碗の破片を集めて合わせているようなものだ」という鮮やかな比喩で示し、そのような行為が何の価値も生まないことを喝破します 。過去を悔やむのではなく、過ちの認識を新たな出発点として、即座に未来へ向かって行動を再開することこそが肝要です。
6. 「自分の功績を誇って驕り高ぶるのも、みな自分を愛することから生ずることである。手柄も立て名も知られるようになると、知らぬ間に己を甘やかす心が生まれ、恐れたり慎んだりという心が緩み、驕り高ぶる気持ちが次第に大きくなる。だから、人の見ていないところでも、戒めの心、慎みの心を持つことが必要なのだ。」
解説:これは複数の条文の趣旨をまとめたものですが、核心は一貫しています。西郷は、人間が成功の頂点から転落する根源を「自ら愛する心」、すなわち利己心や自己満足にあると分析します 。事業の当初は慎み深いため成功しますが、功成り名遂げると自己愛が増長し、慎重さを失い、驕りが生まれます。この内面的な変化が、最終的な破滅を「自ら招く」のだと説きます。したがって、真の修養とは、人が見ていない場所で自らを厳しく律すること(慎独)にあるのです。
7. 「ひたすら道を行い、道を楽しみ、もし困難に遭い、それを乗り切ろうと思うならば、ますますその道を実践し楽しむという心を持つがいい。」
解説:この教えは、西郷の行動哲学の核心の一つです。彼が言う「道」とは、敬天愛人に代表される天地自然の普遍的な真理です。彼は、この道を単に義務として実践するのではなく、「楽しむ」境地に至ることを説きます。特に、困難や逆境に直面した時こそ、恐怖や不安に苛まれるのではなく、むしろ「ますます」道の実践に没頭し、その中に楽しみを見出すべきだと言います 。この言葉は、西郷自身の壮絶な人生経験を賭けて体得された実践的な真理でした。
8. 「天の道をおこなう者は、天下こぞってそしっても屈しない。その名を天下こぞって褒めても驕らない。」
解説:西郷は、普遍的な真理である「道」を実践する者が持つべき精神的独立性について説きます。その基準は、世間の評価といった移ろいやすいものではなく、自らの内にある「天の道」という絶対的なものです。全世界が自分を非難しようとも、それで自己の道が不足しているとは考えず、逆に全世界が賞賛しようとも、それで自己が完成したとは考えません。この不動の態度は、「自ら信ずるの厚きが故」、すなわち、自らが拠って立つ「道」に対する絶対的な確信から生まれるものです 。
9. 「聖人や賢人になろうとする志がなく、昔の人が行った史実をみて、とてもこのようなことは自分にはできないというような心であったら、戦いを前に逃げるよりも、はるかに卑怯なことだ。」
解説:この言葉は、西郷の人間観と向上心に対する厳しい要求を示しています。彼は、過去の偉人たちの偉業を見て、「自分には到底不可能だ」と最初から諦めてしまう精神的態度を、戦場で敵を前にして逃亡する行為よりも「なお卑怯だ」と断罪します 。物理的な恐怖から逃げる行為よりも、精神的な挑戦を放棄する態度のほうを、より根本的な臆病さと見なしているのです。人間は常に自己の可能性を信じ、より高い人格を目指して努力し続けるべきであるという、強いメッセージです。
10. 「国が辱めを受けるようなことがあったら、たとえ国が倒れようとも、正道を踏んで道義を尽くすのが政府本来の仕事である。戦の一字を恐れ、政府本来の使命を果たさないのなら、商法支配所といった商いの元締めというようなもので、もはや政府ではなくなってしまうだろう。」
解説:これは、西郷の対外政策に関する断固たる姿勢を示す言葉です。彼は、外交の基本を、国家としての「正道」と「道義」を貫くことに置きます。国家が他国から侮辱を受ける際に、戦争の可能性を恐れるあまり安易な妥協に走ることは、政府の任務放棄であると主張します。そのような政府は、もはや国家の主権を担う統治機構ではなく、単なる利益計算を行う「商法支配所」に成り下がったものだと、痛烈に批判しています 。
11. 「租税を薄くして、民を裕(ゆたか)にするは、即ち国力を養成する也。」
解説:西郷の経済思想は、民衆の生活を第一に考えるものです。彼は、減税によって民衆の生活を豊かにすることこそが、長期的には国家の力を養うことに繋がると説きます 。たとえ国家財政が逼迫していたとしても、安易に増税に頼るべきではありません。むしろ、そのような時にこそ為政者(「上」)は自らの歳出を削り、自己犠牲を払ってでも、民衆(「下」)に過酷な負担を強いるべきではない(「上を損じて下を虐たげぬ」)と主張します。
12. 「もし西洋が本当に文明の国ならば、未開の国に対しては、慈愛の心をもって接し、懇々と説きさとし、文明開化に導くはずであろう。ところが、そうではなく、未開蒙昧の国に対するほど、むごく残忍なことをして、自分たちの利益のみをはかるのは明らかに野蛮である。」
解説:これは、明治期に日本が直面した「文明」という概念に対する、西郷の根本的な問い直しです。彼にとっての真の「文明」とは、物質的な繁栄ではなく、「道」、すなわち仁愛や道義が社会に広く行き渡っている状態を指します。この基準から見れば、当時の西洋列強がアジア・アフリカで行っていた植民地主義的収奪は、慈愛とは程遠い。むしろ、弱者に対して残忍に振る舞い、自国の利益のみを追求するその姿は、真の文明とは対極にある「野蛮」そのものであると、西郷は断じています 。
13.「 国に功労ある人には賞を与えよ。功労あるからといって、地位を与えてはならない。地位を与えるには、おのずと地位を与えるにふさわしい見識がなければならない。」
解説:西郷は、人事における厳格な原則として、「功績」(功)と「地位」(官)を明確に区別することを提示します。国家に功績のあった者には、金銭的な報酬(賞)を与えて報いるべきです。しかし、政府の役職(官位)は、その職務を遂行するにふさわしい能力と人格(徳)を持つ者にのみ与えられるべきです 。功績があるからという理由だけで、その職責に堪えられない人物を高い地位につけることは、情実人事を生み、国家を危うくする最悪の過ちであると、西郷は強く警告しています。
14. 「人材を採用するとき、君子との区別を厳格にし過ぎると、かえって害を引き起こすものである。世の中の十人のうち七、八人までは小人であるから、よくこのような小人の長所をとり入れ、これを下役に用い、その力を発揮させるのがよい。」
解説:西郷は、理想論に偏らない、極めて現実的な人材登用論を展開します。彼は、世の中の人間の大半は道徳的に未熟な「小人」であるという厳しい現実認識から出発します 。したがって、清廉潔白な「君子」のみを登用しようとすれば、組織は成り立ちません。しかし、ここには重要な条件が付されます。それは、小人を登用するのはあくまで「小職」(下位の役職)に限定し、決して組織の意思決定を担う「長官」や「重職」に就けてはならない、という点です。徳を欠く小人は、権力を持つと必ず私利私欲に走り、組織を危機に陥れるからだと警告しています。
15. 「賢人がすべての役人を統轄し、政権が一つの方針に進み、国の体制が一つにまとまらなければ、たとえ有能な人物を登用し、自由に進言できるようにしても、どれを取捨するのか一定の方針がなくては、行うことは雑でまとまりがなく、とても成功どころではない。」
解説:西郷は、組織運営におけるトップリーダーシップと明確なビジョンの不可欠性を説きます。多様な意見を取り入れることは重要ですが、最終的にそれらの意見を「取捨選択」し、組織全体を一つの方向へ導くための確固たる方針と、それを断行する強力なリーダーシップが存在しなければ、あらゆる事業はまとまりを欠き、成功はおぼつかないと教えています 。
16.「 天は他人も私も区別なく愛されるのであるから、我々は自分を愛する心を持って他人をも愛することでなくてはならない。」
解説:この言葉群は、西郷の倫理体系の根幹である「敬天愛人」とその実践方法を示しています 。宇宙の根本原理である「天」は、万物を差別なく愛するため、天を敬う者は、自分を愛するのと同じ心で他人を愛さなければなりません。
17. 「学問を志す者は、広く学ぶという心がけが必要である。しかし、ただそのことのみに偏ってしまうと、身を修めることがおろそかになっていくから、常に自分に克ち、身を修めることが大事である。」
解説:西郷は、学問に取り組む者に対して、大きな視野と高い理想を持って学ぶこと(規模を宏大にする)を求めます 。しかし同時に、知識の習得だけに偏る危険性を警告します。知識が豊富でも人格的な修養(修身)が伴わなければ、その知識は正しく使われません。したがって、学問の探求と並行して、常に利己心や怠惰な心に打ち克ち、人格を磨き続ける努力(克己)が不可欠であると説いています。
18. 「策略は日常的にすることではない。はかりごとをめぐらしてやったことは、あとから見ると善くないことがはっきりしていて、必ず後悔するものである。」
解説:西郷は、目先の成功のために策略や権謀術数を用いることを固く戒めます。たとえ策略によって一時的に事がうまく運んだように見えても、後になって振り返れば、そのやり方が不正であったことは明らかになり、必ず後悔と禍根を残すと断言します 。彼の行動原理は、常に公明正大であること、いかなる状況においても人間としての「正道」を踏み外さないことでした。
19.「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。」
解説:これは西郷の哲学の精髄です。「人を相手にせず」とは、他人の評価といった相対的な価値基準に行動を左右されるな、という意味です。「天を相手にせよ」とは、自らの行動基準を、普遍的で絶対的な真理である「天の道」にのみ置け、ということです 。この姿勢を貫くならば、物事がうまくいかない原因を他人のせいにする(人を咎めず)ことはなくなり、いかなる失敗も、自分自身の誠実さや努力が不足していた(我が誠の足らざる)結果であると、自己に対して無限の責任と内省を求めることになります。
20. 「どんなに制度や方法を論議しても、それを行なう人が立派な人でなければ、うまく行われないだろう。立派な人であって始めて色々な方法は行われるものだから、人こそ第一の宝であって、自分がそういう立派な人物になるよう心掛けるのが何より大事な事である。」
解説:西郷は、制度やマニュアルといった仕組みそのものよりも、それを運用する人間の人格を決定的に重視しました 。彼にとって、いかに優れた制度や方法論を構築しても、実行する人間に徳がなければ、その仕組みは機能しないか、あるいは悪用されることさえあると考えたのです。したがって、国家や組織にとって最も重要な資本は「人」であり、リーダーがまず取り組むべきは、制度改革である前に、自らがその「立派な人」になるための自己修養であると説いています。
21. 「忠孝(君主や国によく仕え、親を大事にする事)、仁愛(他人に対して恵み、いつくしむ心)、教化(良い方に教え導くこと)は政治の基本であり、未来永劫、全世界になくてはならない大事な道である。道というものは天地自然の物であるから、たとえ西洋であっても同じで、決して区別はないものである。」
解説:西郷は、政治の根幹を、特定のイデオロギーや政策ではなく、普遍的な道徳律に置きました 。忠誠、親孝行、仁愛といった徳目は、単なる個人の倫理にとどまらず、国家を治める上での大原則であると説きます。そして、これらの「道」は日本や東洋だけのものではなく、天地自然の法則である以上、西洋諸国にも通じる普遍的な真理であると断言しています。これは、表面的な文明の差異を超えて、人間社会の根本にあるべき原理を見据えた、彼の壮大な視野を示しています。
22. 「日頃から道を踏み行わない人は、いざという時に慌てふためき、どうしてよいか分からなくなるものである。」
解説:西郷は、危機管理能力の源泉が、日々の地道な修養にあると説きます 。彼はこれを、近所で火事が起きた際の対応に喩えています。日頃から心構えができている者は冷静に対処できるが、そうでない者はただ狼狽えるばかりである、と。同様に、平時から人間としての正しい道を踏み、精神を鍛錬している者でなければ、国家の有事や組織の危機に際して、的確な判断を下すことはできない。付け焼き刃の策や知識ではなく、日常における倫理的な実践こそが、真の対応力を養うと教えています。
23. 「今の人は、才能や知識があれば事業は思い通りに成功するものだと思っているが、才能に任せて行う事は、危なくて見ていられない。しっかりとした人格という土台があってこそ、その能力は生かされるのである。」
解説:これは、才能(才)と人格(体)の関係性についての西郷の鋭い洞察です 。彼は、知識や技術といった「才」だけが先行し、それを支えるべき人格、すなわち「体」が伴わない状態を極めて危険視しました。人間的な土台がなければ、その才能は私利私欲のために使われたり、方向性を誤って暴走したりするからです。能力や才能は、それを正しく用いるための強固な人格という器があって初めて、真に価値あるものとして機能するという、彼の人間観の核心がここにあります。
24.「 誠実さもなく世間から褒められるのは、単なる偶然の幸運に過ぎない。誠実さが篤ければ、たとえその当時に知る人がいなくても、後の世に必ず理解者が現れるものである。」
解説:西郷は、世間の評価という移ろいやすいものよりも、内面から発する「誠」を絶対的な価値基準としました 。実体の伴わない名声は、いずれ消え去る「僥倖(偶然の幸運)」に過ぎないと断じます。一方で、真の誠実さをもって貫かれた行動は、たとえ生前に正しく評価されなくとも、その価値が失われることはなく、時代を超えて必ず誰かがその真価を理解してくれると信じていました。これは、目先の評判に惑わされず、長期的な視点で自らの信じる道を貫くことの重要性を説く教えです。
25.「人に何かを推し進めるときは、公平さとこの上ない誠実さをもってせよ。公平でなければ、英雄豪傑の心をつかむことは決してできない。」
解説:西郷は、人を動かす力の根源を、権謀術数ではなく「公平至誠」に求めました 。特に、優れた人物(英雄)の心服を得るためには、小手先の策略や不公平な態度はすぐに見抜かれ、かえって反感を買うと説きます。人を欺いたり、陰で画策したりするようなやり方は、たとえ一時的に成功したように見えても、必ずその醜い本質が露呈します。真に人の心をつかみ、協力を得るための唯一の方法は、どこまでも公平であり、誠実であり続けることだと教えています。
26. 「昔から主君と臣下が共に自分は完全だと思って政治を行うような世に、うまく治まった時代はない。自分は完全な人間ではないと考えるところからはじめて、身分の低い者の言うことも聞き入れるものである。」
解説:この言葉は、リーダーが陥りがちな自己満足と傲慢さへの強い戒めです 。西郷は、君主であれ部下であれ、組織の構成員が「自分たちは完璧だ」と思い込んだ瞬間に、その組織の成長は止まり、衰退が始まると看破しました。自らの不完全さを認める謙虚さがあって初めて、身分や立場に関係なく、他者の意見に耳を傾けることが可能になります。逆に、自分を完璧だと信じ込むリーダーは、耳の痛い諫言を退け、結果として賢明な補佐役を遠ざけてしまうと警告しています。


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