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バークの名言集 1729-1797

  • 執筆者の写真: 石田卓成
    石田卓成
  • 3月9日
  • 読了時間: 21分

更新日:10月3日

エドマンド・バークの名言 1.「あなたの代表は、あなたにただ勤勉さだけでなく、判断力も負っている。彼があなたの意見に犠牲を払うなら、それはあなたを裏切ることになる。」(ブリストル選民への演説 1774年) 意訳

解説:議員は、選挙区の人々の意見をただ伝えるだけの代理人ではありません。むしろ、国全体の利益のために、自らの良識や専門知識に基づいて最善の判断を下す責任を負っています。たとえ選挙民の意見と異なったとしても、より大きな視点から正しいと信じる決断をすることこそが、議員の本当の仕事であるという考え方です。


2.「社会は確かに契約である。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:バークは、社会を単に今を生きる人々の間の契約とは考えませんでした。彼は、社会とは、過去に生きた先人たち、現在を生きる私たち、そして未来に生まれてくる子孫たちという、世代を超えて結ばれる壮大で神聖なパートナーシップ(契約)だと捉えました。そのため、伝統や文化を尊重し、急進的な革命ではなく、歴史の知恵を活かしながら少しずつ社会を良くしていくべきだと主張しました。


3.「自由を愛する者は、まず秩序を愛さなければならない。」(フランス革命の省察 1790年) 要約

解説:自由は非常に大切ですが、それが無秩序な状態、つまり何でもありの状態になってしまっては意味がありません。法律やルール、道徳といった社会の「秩序」という土台があってこそ、初めて一人ひとりの自由は守られ、意味のあるものになるという考え方です。自由には責任が伴うという、現代にも通じる重要なメッセージです。


4.「改革とは、破壊することではない。」(フランス革命の省察 1790年) 要約

解説:社会をより良くするために変化は必要ですが、すべてを壊してゼロから作り直すような革命的なやり方は危険だとバークは警告しました。彼は、先人たちが築き上げてきた知恵や経験を尊重し、それを土台としながら、欠陥のある部分を慎重に修復・改善していく「漸進的な改革」こそが、社会にとって最も賢明な道だと考えました。


5.「人間の情熱を過信してはならない。」(フランス革命の省察 1790年) 要約

解説:人間は理性的な生き物であると同時に、感情や欲望に流されやすい不完全な存在であるとバークは考えました。特に、フランス革命のような社会の熱狂の中では、集団心理が暴走し、破壊的な結果を招く危険があります。そのため、人間の情熱は、法や道徳、伝統といった社会の仕組みによって適切にコントロールされる必要があると主張しました。


6.「すべての政府の目的は、国民の幸福と繁栄を保障することである。」(バークの著作全体に見られる思想) 要約

解説:政府が存在する究極の目的は、国民全体の幸福と繁栄を実現することにあります。ただし、バークの言う「幸福」とは、単なる個人の欲望の満足ではなく、安定した秩序や道徳が保たれた社会の中で、人々が安心して暮らせることを意味します。そのため、政府は時に、国民の一時的な感情に流されることなく、長期的な視点から国を導く責任があると考えました。


7.「悪人が結びつくとき、善人は団結しなければならない。そうでなければ、彼らは一人ずつ、哀れみもなく軽蔑される闘争で倒れるだろう。」(現在の不満の原因に関する考察 1770年)

解説:悪事を企む者たちは、目的を達成するためにしばしば徒党を組みます。それに対して、善意を持つ人々がバラバラに行動していては、太刀打ちできません。社会を良くするためには、正しいと信じる人々が理念を共有し、団結して行動することの重要性を説いた、力強い言葉です。


8.「恐れほど心の行動と理性の力を効果的に奪う情熱はない。」(崇高と美の観念の起源に関する哲学的探究 1757年)

解説:「恐怖」という感情は、人間の理性的な判断力を麻痺させる最も強力な力を持っているとバークは分析しました。恐怖に支配されると、人は冷静な思考ができなくなり、誤った行動をとりがちです。この言葉は、恐怖に屈しない勇気や、他者から恐怖によって操られないための知恵の重要性を示唆しています。


9.「政府は人間の知恵が人間の必要に応えるための仕組みであり、人々はその恩恵を享受する権利を持つ。」(フランス革命の省察 1790年) 意訳

解説:政府とは、抽象的な理想を実現するためのものではなく、食料の確保や安全の保障といった、人間の現実的な必要を満たすために、長い歴史の中で培われた知恵の結晶(仕組み)であるとバークは考えました。したがって、人々は政府に対して、こうした現実的な役割をきちんと果たしてくれるよう要求する権利を持っています。


10.「良い秩序はすべての良いものの基礎である。」(フランス革命の省察 1790年) 要約

解説:社会が安定し、秩序が保たれていることこそが、平和や繁栄、個人の自由といった、あらゆる良いことの土台になるとバークは考えました。秩序という基礎がなければ、どんな立派な理想も実現できないという、彼の保守主義思想の根幹を示す考え方です。


11.「恥がその見張りを続ける限り、美徳は完全に消え去ることはない。」(フランス革命の省察 1790年) 要約

解説:人が悪いことをした時に「恥ずかしい」と感じる心、つまり羞恥心や良心がある限り、社会の道徳が完全に崩壊することはない、という考えです。法律や強制力だけでなく、一人ひとりの内なる道徳感情こそが、健全な社会を支える最後の砦であるとバークは信じていました。


12.「すべての破滅した男は、彼らの自然な傾向の側で破滅する。」(国王殺しの和平についての書簡 1796-1797年)

解説:人が破滅に至るのは、多くの場合、外部の要因よりも、自分自身の内なる弱さや悪い癖、抑えきれない欲望に負けてしまうからだ、という鋭い人間観察です。自分自身を律することの重要性を説いています。


13.「人々は幻覚の下でしか自由を放棄しない。」(バッキンガムシャー郡会議での演説 1784年) 意訳

解説:人々は、自らの自由がかけがえのないものであることを知っているため、何らかの嘘や甘い言葉に騙されない限り、自ら進んで自由を手放すことはない、という意味です。権力者が巧みな言葉で大衆を惑わし、自由を奪うことへの強い警告が込められています。


14.「騎士道の時代は終わった。詭弁家、経済学者、計算家の時代が続き、ヨーロッパの栄光は永遠に消え去った。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:フランス革命によって、名誉や忠誠、弱者への敬意といった、ヨーロッパの伝統的な価値観(騎士道精神)が破壊され、すべてが損得勘定や冷たい合理主義で判断される時代が来たと嘆いた言葉です。古き良き時代への郷愁と、新しい時代への深い憂慮が表れています。


15.「私は彼をインド人民の名において弾劾する…人類全体の名において。」(ウォーレン・ヘースティングス弾劾演説 1788年) 意訳

解説:インド総督ヘースティングスの不正を追及した演説の一節です。この弾劾は、単にイギリスの法律を破ったからというだけでなく、インドの人々の権利を踏みにじり、さらには人間として守るべき普遍的な正義に反する行為だから許せない、というバークの強い信念が示されています。


16.「人生の無償の恩恵、国家の安価な防衛、男らしさの養育者は失われた。」(フランス革命の省察 1790年) 要約

解説:「騎士道の時代」の終焉を嘆いた言葉に続く一節です。伝統的な社会が育んできた、お金では買えない気品や名誉心(人生の無償の恩恵)、そして人々が自発的に国を守ろうとする愛国心(国家の安価な防衛)といった価値が、革命によって失われてしまったと悲しんでいます。


17.「小さな集団が国家を長期にわたり支配することは困難である。」(フランス革命の省察 1790年) 要約

解説:声の大きい少数の過激なグループが、一時的に世論を扇動して権力を握ることがあっても、国民の大多数の穏健な考えや社会の慣習を無視した支配は、決して長続きしないとバークは考えました。これは、フランス革命におけるジャコバン派のような急進派への批判です。


18.「すべての政府、そしてすべての人間の利益や楽しみ、すべての美徳、すべての慎重な行為は、妥協と交換に基づいている。」(アメリカとの和解に関する演説 1775年)

解説:政治の世界では、白か黒か、0か100かというような絶対的な正しさを追求することは現実的ではありません。異なる意見や利益を持つ人々が共存するためには、互いに譲り合い、落としどころを見つける「妥協」の精神が不可欠であるという、バークの現実主義的な政治観を示しています。


19.「フランス人は…最も優れた破壊の建築家であることを示した。」(フランス革命の省察 1790年) 要約

解説:フランスの革命家たちが、古い社会制度を破壊し、新しい社会を「建築」していると自負していることに対する痛烈な皮肉です。バークは、彼らが実際に得意なのは、建設ではなく「破壊」だけであると批判しました。


20.「王は政策から専制君主となり、臣民は原則から反逆者となる。」(フランス革命の省察 1790年) 要約

解説:革命によって社会の秩序が崩壊すると、本来の関係が逆転してしまうという警告です。国民が抽象的な「原則」を振りかざして反逆者となれば、王もまた国民を守るという役割を忘れ、権力を維持するための冷酷な「政策」によって専制君主にならざるを得なくなる、という悪循環を指摘しています。


21.「個人の自由の効果は、彼らが好きなことをするということだ。私たちは、彼らが何をしたいのかを見るべきであり、祝辞を述べる前にリスクを冒すべきだ。」(フランス革命の省察 1790年) 意訳

解説:「自由」という言葉にすぐに飛びついて祝福するのは早計だとバークは言います。自由とは、人々が「好きなことをする」力にすぎません。その力が、社会にとって良いことに使われるのか、それとも破壊や混乱のために使われるのかを慎重に見極めるまでは、手放しで喜ぶべきではない、という現実的な警告です。


22.「16年か17年前、私はヴェルサイユで当時のドーフィーヌであったフランス王妃を見た。そして確かに、この地球上にこれほど喜ばしいビジョンはなかった。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:若き日のマリー・アントワネット妃の輝くような姿を回想し、彼女が革命によって悲劇的な運命を辿ったことへの深い悲しみを表現した一節です。これは単なる感傷ではなく、革命がもたらした非人間性と、伝統的な美や敬意の喪失を象徴的に示しています。


23.「私たちは一般に未教化の感情を持つ者であり、古い偏見(そう呼ばれるなら)を捨てるのではなく、かなりの程度まで大切にしている。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:啓蒙思想家たちが「偏見」を理性の敵として批判したのに対し、バークはそれを肯定的に捉えました。彼にとって「偏見」とは、個人の浅い知識に頼るのではなく、歴史を通じて多くの人々が経験から学んだ知恵や道徳感情の蓄積です。複雑な問題に直面したとき、この「偏見」が私たちを正しい道へと導いてくれると考えました。


24.「これらの理論家の主張する権利はすべて極端であり、形而上学的に真実であるほど、道徳的・政治的には偽である。」(国民議会議員への手紙 1791年)

解説:頭の中(形而上学)で考えた「完全な自由」や「完全な平等」といった抽象的な理論は、現実の政治の世界にそのまま持ち込むと、かえって社会を混乱させるとバークは批判しました。現実の政治は、様々な価値観のバランスをとる「妥協」の産物であり、一つの理想を極端に追求することは危険だという考えです。


25.「私はインドの人民の名において彼を弾劾する。彼は彼らの権利を踏みつけ、彼らの国を血と荒廃で満たした。」(ウォーレン・ヘースティングス弾劾演説 1788年) 意訳

解説:インド総督ヘースティングスがインドで行った圧政を告発した言葉です。バークは、ヘースティングスがインドの人々の法や権利を破壊し、国を荒廃させたと厳しく非難し、帝国主義的な権力の濫用を許さないという強い正義感を示しました。


26.「国家も個人も同じで、目的や対象を明確に定めずに抱く憤りは非常に危険である。」(フランス革命の省察 1790年) 要約

解説:何に対する怒りなのか、その怒りによって何を達成したいのかがはっきりしない、漠然とした憤りは、建設的な改革ではなく、際限のない破壊につながるだけだとバークは警告しました。政治的な行動は、常に冷静な理性と具体的な目標に基づいて行われるべきだと考えていました。


27.「宗教に反対する作家たちは、あらゆる制度を批判しながら、来世の問題には触れず沈黙を守る。」(自然社会の擁護 1756年) 要約

解説:これは、バークが宗教を批判する啓蒙思想家たちの矛盾を皮肉った言葉です。彼らは既存の社会制度を徹底的に攻撃する一方で、宗教が人々に与えてきた道徳的な支えや心の安らぎといった側面については都合よく無視している、と指摘しています。バーク自身は、宗教が社会秩序の重要な基盤であると考えていました。


28.「この国の公共の心は確かに劣化しているに違いない。もしそれが、前の世代がしたことすべてに反対する以外の行動原理を持たない人々に導かれることを我慢できるなら。」(新旧ホイッグへの訴え 1791年)

解説:過去の歴史や先人たちの知恵をすべて軽蔑し、否定することだけを信条とするような指導者を国民が受け入れるならば、その国の精神は堕落している証拠だとバークは断じました。伝統から学び、それを受け継いでいくことの重要性を強く訴えています。


29.「私はまだ、理解力がリーダーよりも劣る人々の観察によって改善されない計画を見たことがない。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:どんなに優れたリーダーが立てた計画でも、それだけでは完璧ではありません。実際にその計画の影響を受ける人々、たとえ専門知識がなくても、その人たちの現場からの意見や観察を取り入れることで、計画はより良いものになる、という考えです。机上の空論ではなく、現場の知恵を尊重する謙虚な姿勢の重要性を示しています。


30.「崇高なものの中で力の変形ではないものは何もないと私は知っている。」(崇高と美の観念の起源に関する哲学的探究 1757年)

解説:人が「崇高だ」と感じるもの、例えば雄大な自然や巨大な建築物などの根源には、常に我々を圧倒するような「力」の存在がある、というバークの美学理論です。美しいものが人に安らぎを与えるのに対し、崇高なものは畏敬の念や恐怖に近い感情を呼び起こします。


31.「自然の偉大さと崇高さが最も強力に働くとき、それは驚嘆を生み出し、驚嘆は魂の状態であり、そのすべての動きがいくらかの恐怖と共に停止する。」(崇高と美の観念の起源に関する哲学的探究 1757年)

解説:壮大な自然などに触れたとき、人はあまりのスケールの大きさに言葉を失い、思考が停止するような感覚に陥ることがあります。バークは、この恐怖を伴う「驚嘆」の状態こそが、「崇高」という感情の核心であると分析しました。


32.「痛みと危険の観念を刺激するように適したものは何でも、つまり、ある程度恐ろしいもの、あるいは恐ろしい対象について関与するもの、あるいは恐怖と類似した方法で働くものは、崇高の源である。」(崇高と美の観念の起源に関する哲学的探究 1757年)

解説:人が「崇高」を感じるのは、美しいものに触れたときだけではありません。むしろ、痛みや危険、恐怖を感じさせるものこそが、「崇高」という強烈な感情の源泉である、というバークの独創的な美学理論です。


33.「力は徐々に心からすべての人間の感情を根絶する。」(経済改革に関する演説 1780年) 要約

解説:権力は、それを持つ人間を傲慢にし、他者への共感や思いやりといった人間的な感情を麻痺させてしまう危険性がある、という警告です。「権力は腐敗する」という言葉にも通じますが、バークは権力そのものが悪なのではなく、それが濫用されないように制度によって適切に管理・監視される必要があると訴えました。


34.「税を課し、喜ばせることは、愛し賢くなることと同じく、人間には与えられていない。」(アメリカ植民地への課税に関する演説 1774年)

解説:税金を取り立てながら、国民に好かれるというのは、恋をしながら常に賢明でいるのと同じくらい不可能に近い、というウィットに富んだ言葉です。アメリカ植民地への課税政策がいかに困難であるかを指摘する中で、政治の現実的な難しさを表現しています。


35.「私は確かに、他人の実際の不幸と痛みに対して、ある程度の喜び、しかも小さなものではないのを持っていると確信している。」(崇高と美の観念の起源に関する哲学的探究 1757年)

解説:少しドキッとする言葉ですが、これは他人の不幸を喜ぶ悪意を意味するのではありません。他人の苦しみを見聞きしたとき、人は同情すると同時に、「自分は安全な場所にいる」という安堵感から、ある種の消極的な喜びを感じる、という人間の複雑な心理を鋭く分析したものです。


36.「国家にとって最も致命的なのは、自己中心的で妥協しない極端な憤りである。」(サー・ハーキュリーズ・ラングリッシュへの手紙 1792年)

解説:自分の集団の利益しか考えず、他者の立場を全く顧みない、頑なで自己中心的な態度は、社会に深刻な対立と分裂をもたらし、最終的には国家を破滅に導くと警告しました。異なる意見を持つ人々が共存するためには、妥協と相互理解の精神が不可欠です。


37.「公共はすべての人がその意見を述べる権利を持つ主題であり、私が言うことが同じ自由で議論されるなら、私は不満を言う権利がない。」(現在の国家の状況に関する観察 1769年)要約

解説:社会や政治の問題については、誰もが自由に自分の意見を表明する権利があります。そして、自分の意見が他人から自由に批判されることも受け入れなければならない、という考えです。活発な公開討論こそが、より良い社会を築くための基礎であるという、バークの議会人としての一面を示しています。


38.「例は人類の学校であり、それ以外では学ばない。」(国王殺しの和平についての書簡 1796-1797年)

解説:人間が学ぶ上で最も重要な教科書は、歴史上の具体的な「実例」である、という意味です。抽象的な理論を学ぶよりも、過去の成功や失敗の事例から教訓を引き出すことこそが、未来をより良くするための確かな道筋だとバークは信じていました。


39.「どこでも奴隷制度を持つことができる。それはあらゆる土壌で育つ雑草である。」(植民地との和解に関する演説 1775年)

解説:専制政治や抑圧(奴隷状態)は、特別な場所でなくても、どんな社会にも容易にはびこる可能性がある、という強い警告です。それを、どこにでも生える「雑草」にたとえ、自由を守り続けることの難しさと重要性を訴えました。


40.「公共の利益は政府が強力であることを要求するが、それはその権威によって強力であってはならず、臣民の服従によってではない。」(現在の国家状況に関する観察 1769年)要約

解説:政府が国をしっかりと治めるためには力が必要ですが、その力の源泉は、権力者が国民を無理やり従わせることにあるのではありません。国民が政府を信頼し、自発的に従うことによって初めて、政府は真の強さを持つことができる、という考え方です。


41.「何らかの変更の手段を持たない国家には、自らを保守する手段がない。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:バークは「保守主義の父」と呼ばれますが、彼は一切の変化を拒否したわけではありません。むしろ、社会が生き物のように状況に適応し、自己修正していく能力がなければ、その国は自らを存続させることすらできないと考えていました。ここで言う「変更」とは、すべてを破壊する「革命」ではなく、伝統を尊重しながら行う慎重で漸進的な「改革」を指します。


42.「社会の中で自分が属している小さな一画に愛着を持つこと、その小さな一隊を愛することは、公的愛情の第一の動機である。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:壮大な「人類愛」や「愛国心」は、どこかから突然生まれるものではないとバークは考えました。まず、自分の家族、友人、地域社会といった身近な存在(小さな一隊)への愛情が育まれ、それが同心円状に広がっていくことで、国全体や人類への愛情につながる、という考え方です。足元の共同体を大切にすることが、より大きな善の第一歩となります。


43.「政治における寛大さは、多くの場合、真の知恵である。そして、偉大な帝国と狭量な精神は相容れない。」(アメリカとの和解に関する演説 1775年)

解説:これはアメリカ植民地との対立が深まる中で、イギリス議会に向けて語られた言葉です。強大な国家(偉大な帝国)が、植民地に対して細かい規則や権利に固執するような狭い心(狭量な精神)で接するべきではない、とバークは主張しました。相手の立場を理解し、寛大で鷹揚な態度をとることこそが、長期的には最も賢明な政治的判断であると説いています。


44.「作法は法よりも重要である。」(国王殺しの和平についての書簡 1796年)

解説:法律は、社会で問題が起きた時に部分的にしか介入できません。しかし「作法(マナー)」、つまり人々が日常的に共有している礼儀や道徳観、習慣は、空気のように常に私たちの行動を規律し、社会全体の品位を良くも悪くもします。バークは、こうした目に見えない社会規範こそが、成文法以上に社会の秩序と人々の品性を支える基盤だと考えました。


45.「我々の忍耐は、我々の力よりも多くのことを成し遂げるだろう。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:フランス革命の急進派が暴力的な「力」によって社会を性急に変えようとしたことを、バークは批判しました。彼は、真に永続的で良い変化というものは、暴力や強制によってではなく、時間をかけた粘り強い努力、つまり「忍耐」によってもたらされると信じていました。これは、漸進的な改革の重要性を説く彼の基本姿勢を表しています。


46.「偽善は、その約束において壮大であることを許される。なぜなら、約束以上に進むつもりは全くないのだから、何の費用もかからないからだ。」(出典不明だが、バークの言葉として広く引用される)

解説:守るつもりのない約束をするのは簡単なので、偽善者はいくらでも立派で壮大な公約を掲げることができる、という皮肉です。バークは、フランス革命の指導者たちが実現不可能な理想を掲げて民衆を扇動していることを見抜き、口先だけの美辞麗句に騙されてはならないと警告しました。


47.「迷信は、弱々しい精神の宗教である。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:バークは宗教を社会の重要な土台と見なしていましたが、同時に、理性的でない人々にとっては、宗教が時に「迷信」という形で現れることも認識していました。しかし彼は、たとえ迷信であっても、それが人々の心を支え、道徳的な行動に導くのであれば、無下に否定すべきではないと考えました。これは、人間の不完全さを受け入れる、彼の現実主義的な側面を示しています。


48.「知恵も美徳も伴わない自由とは一体何か。それは、ありとあらゆる害悪の中でも最大のものである。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:自由は、それ自体が無条件で良いものではないとバークは主張します。もし自由が、物事を正しく判断する「知恵」や、善い行いをしようとする「美徳」なしに行使されるなら、それは単なるわがままや暴力の言い訳となり、社会に最大の害をもたらす凶器になりかねません。真の自由は、常に理性と道徳によって律せられる必要があるのです。


49.「民主政において、多数者は少数者に対して最も残酷な抑圧を加えることができる。」(フランス革命の省察 1790年)

解説:「多数決」は民主主義の基本ですが、バークはその危険性も指摘しました。もし多数派が何の制約も受けずに権力を行使すれば、それは少数派の意見や権利を完全に踏みにじる「多数派の専制」になりかねません。彼は、憲法や伝統、法の下の平等といった仕組みによって、多数派の力を制限し、少数派を保護することの重要性を説きました。


50.「我々と格闘する者は、我々の神経を強め、我々の技術を磨いてくれる。我々の敵対者は、我々の助け手である。」(フランス革命の省察 1790年)

解説: この言葉は、困難や反対意見がもたらす予期せぬ恩恵について語っています。自分に反対する人や困難な状況は、単なる障害ではありません。むしろ、それらに立ち向かうことで、私たちは自分たちの信念を試し、議論を深め、精神的に鍛えられます。つまり、敵対者や逆境こそが、自分を成長させてくれる最高の「助け手」になり得るという、非常に力強い視点です。


51.「弁護士が私に『してもよい』と告げることではなく、人間性、理性、そして正義が私に『すべきである』と告げることだ。」(アメリカとの和解に関する演説 1775年)

解説: これは、アメリカ植民地への課税問題について、イギリス議会で述べられた言葉です。バークは、法的に課税する「権利」があるかどうかという議論に終始するのではなく、何が人道的で、理にかない、そして公正な行いなのかを考えるべきだと訴えました。法律で許されているからといって、それが常に正しい行いとは限りません。政治家は、法律だけでなく、自らの良心に従って行動すべきだという強いメッセージが込められています。


52.「弱者の譲歩は、恐怖の譲歩である。」(アメリカとの和解に関する演説 1775年)

解説: 交渉や対立において、弱い立場から、あるいは恐怖心からなされる譲歩は、真の和解にはつながらないという鋭い指摘です。そうした譲歩は、相手にさらなる要求を促すだけであり、根本的な問題解決にはなりません。バークは、原則に基づき、自信と強さを持った上で行う寛大な譲歩こそが、永続的な平和と信頼関係を築くと考えていました。


53.「悪い法律は、最悪の種類の圧政である。」(選挙前のブリストルでの演説 1780年)

解説: 一人の暴君による圧政は目に見えやすく、抵抗の対象も明確です。しかし、悪い法律による圧政は、「法」という正当性を装っているため、より巧妙で根深いものになります。社会のルールそのものが人々を不当に縛り付けるとき、それは個人の暴政よりもたちが悪く、逃れることが困難な圧政となる、という警告です。法の支配を重んじたバークだからこそ、その法が悪用されることの危険性を強く認識していました。


54.「祖先を振り返ることのない人々は、子孫のことも見通すことはないだろう。」(フランス革命の省察 1790年)

解説: これはバークの保守主義思想の核心を突く言葉です。未来に対する私たちの責任は、過去に対する敬意と深く結びついていると彼は考えました。先人たちが築き上げてきた歴史や文化、知恵から学ぶことで初めて、私たちは未来の世代のために何をすべきか、何を遺すべきかを見通すことができます。自分たちを、過去と未来をつなぐ壮大な物語の一部として捉えることの重要性を教えてくれます。


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