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チェスタトンの名言集 1874-1936

  • 執筆者の写真: 石田卓成
    石田卓成
  • 3月8日
  • 読了時間: 18分

更新日:10月3日

ギルバート・キース・チェスタトンの名言

1.「伝統とは死者の民主主義である。」(正統とは何か)

解説: 現代を生きる私たちだけで物事を決めるのは、チェスタトンに言わせれば「たまたま今を歩き回っている者たちだけの傲慢な独裁」です。伝統とは、私たちの祖先、つまり「死者」という最も声の届きにくい人々に投票権を与えること。過去の世代が築き上げた知恵や経験に耳を傾けることで、一時的な流行に流されない、より深く、永続的な判断が可能になります。伝統は古い規則ではなく、未来への責任を果たすための知恵なのです 。


2.「そこに柵が作られた理由がわかるまで、決してその柵を取り払ってはならない。」(物の見方)

解説: これは「チェスタトンの柵」として知られる原則です。一見すると無意味に見える制度や慣習(柵)であっても、それは誰かが何らかの理由があって設置したものです。その理由を理解せずに安易に撤去すると、その「柵」が防いでいた未知の問題を再び引き起こすかもしれません。改革の第一歩は、破壊ではなく、まず「なぜそれが存在するのか」を理解することから始まるべきだ、という慎重さと知的な謙虚さを説いています 。


3.「単に心を開いているだけでは何の意味もない。心を開く目的は、口を開く目的と同様、何か固いものの上で再びそれを閉じることにある。」(自伝)

解説: 「オープンマインド」であることを無条件に良いこととする風潮への批判です。口が栄養のある食べ物を取り込むために開けられ、それを自分のものにするために閉じられるように、心もまた、真理という「固いもの(確かなもの)」を見つけ、それを受け入れるために開かれるべきだとチェスタトンは考えました。目的もなく開かれたままの心は、有益なものも有害なものも区別なく受け入れてしまう下水管のようなもの。探求の末に真理を見つけたら、それにコミットする決断こそが重要です 。


4.「死んだものは流れに沿って行くが、生きているものだけが流れに逆らうことができる。」(永遠の人)

解説: 時代の流行や世間の常識にただ身を任せて流されるのは、死んだ魚が川を下るのと同じで、そこに生命の意志はありません。本当に「生きている」とは、自らの信念に基づき、時には流れに逆らってでも自分の道を進むこと。困難に抗う力こそが、生命の証であるとこの言葉は示しています 。


5.「おとぎ話が子供たちに教えるのは、ドラゴンが存在するということではない。ドラゴンは打ち負かすことができる、ということだ。」(途方もない些事)

解説: これはチェスタトンの考えを要約した有名な言葉です。彼によれば、子供たちは恐怖や悪(ドラゴン)の存在を、おとぎ話から教わるのではありません。それは、想像力が芽生えたときから既に知っていることです。おとぎ話が本当に与えてくれるのは、「その恐ろしいドラゴンにも打ち勝つことができる」という希望のメッセージなのです。物語は、人生の困難に立ち向かうための勇気を与えてくれます 。


6.「狂人とは理性を失った人のことではない。狂人とは理性以外のあらゆるものを失った人である。」(正統とは何か)

解説: 一般的に狂気は非合理的だと思われがちですが、チェスタトンは逆のことを言います。真の狂気とは、一つの考えに固執し、その中で完璧な論理を組み立てる一方で、ユーモアや常識、他人への思いやりといった人間的な感覚をすべて失った状態のこと。理性は強力な道具ですが、それだけが暴走すると、人はかえって人間性を失ってしまうという、近代的な合理主義への鋭い警告です 。


7.「芸術は制約である。あらゆる絵画の本質は額縁にある。」(正統とは何か)

解説: 真の創造性は、無限の自由からではなく、むしろ意図的に受け入れた「制約」から生まれるという逆説です。画家は額縁という境界があるからこそ、その中に一つの世界を描き出すことができます。詩人はソネットの14行という形式があるからこそ、言葉を磨き上げます。制約は創造性を縛るものではなく、むしろ表現を明確にし、深めるための不可欠な要素なのです 。


8.「キリスト教は何度も死んで、そして蘇った。なぜなら、キリスト教には墓からの道を知っている神がいたからである。」(永遠の人)

解説: 歴史上、キリスト教は何度も危機に瀕し、多くの賢人たちが「もはや終わりだ」と考えました。しかし、その都度、内なる生命力によって、新たな形で復活を遂げてきました。チェスタトンは、この驚くべき回復力こそ、キリスト教が単なる人間の哲学や制度ではなく、死を打ち破った神に由来する、超自然的な生命体であることの証明だと論じています 。


9.「希望とは、絶望的だとわかっている状況でも快活でいられる力のことである。」(異端者たち)

解説: 状況が良いときに明るい気分でいるのは、単なる楽観主義にすぎません。チェスタトンが言う真の「希望」とは、客観的に見てどうしようもない、絶望的な状況において発揮される徳です。それは、理性や計算を超えて、神の善性を信じる力から生まれます。「希望が合理的でなくなった瞬間に、それは役に立ち始める」と彼は言います 。


10.「何かを信じないという態度は、それ自体がひとつの信念である。」(異端者たち)

解説: 「私は何も信じない」と主張する人でさえ、実は「信じるに値するものは何もない」という確固たる信念を持っています。人間は何かを信じることから逃れることはできません。完全に中立でいることは不可能であり、何かを判断したり選んだりする時点で、人はすでにある種の哲学(信念)の上に立っているのです 。


11.「世界は常に悪かったし、常に良かった。」(万事考慮に入れて)

解説: 「昔は良かった」「現代は最悪だ」といった単純な歴史観を退ける言葉です。チェスタトンによれば、どの時代にもその時代固有の善と悪が混在しており、世界は常にその両者の戦いの舞台です。過去を美化したり、未来を悲観したりするのではなく、今この瞬間に存在する善のために戦い、悪に抵抗することこそが重要だと彼は説いています 。


12.「旅の目的のすべては、異国の地に足を踏み入れることではない。それは、ついに自国に、あたかも異国であるかのように足を踏み入れることなのだ。」(途方もない些事)

解説: 旅行の本当の価値は、単に外国を見ることにあるのではありません。異文化に触れることで、私たちは当たり前だと思っていた自国の文化や価値観を、初めて客観的に見つめ直すことができます。旅から帰ってきたとき、見慣れた故郷がまるで初めて訪れた外国のように新鮮で驚きに満ちて見えること、それこそが旅の醍醐味なのです 。


13.「私が百回間違っていて世界が正しかったのではない。私が九十九回正しくて世界が間違っていたのだ。」(ザ・スピーカー)

解説: これは単なる傲慢さの表明ではありません。多数派の意見や時代の空気が常に正しいとは限らない、というチェスタトンの信念を示す言葉です。彼は、優生学への反対など、しばしば世論に逆らってでも自らの良心と理性に従うことを選びました。周りに流されず、自分の頭で考え、判断する勇気を持つことの重要性を説いています 。


14.「人は、自分が何を言っているかを知るためには、自分が何を言っていないかを知る必要がある。」(異端者たち)

解説: 自分の信念や意見を本当に理解するためには、それが何を否定しているのかを自覚しなければなりません。例えば「平等」を信じることは、「差別」を否定することとセットです。対立する考えを知ることで、初めて自分の立場の輪郭がはっきりし、その意味が深まるのです 。


15.「真の兵士が戦うのは、目の前にいるものを憎むからではなく、背後にいるものを愛するからである。」(イラストレイテッド・ロンドン・ニュース)

解説: 正当な戦いの動機は、「憎しみ」ではなく「愛」であるべきだという考えです。兵士が武器を取るのは、敵を滅ぼすこと自体が目的だからではありません。守るべき故郷、家族、価値観といった、愛するものが脅かされているからこそ、やむを得ず戦うのです。この動機の転換が、戦いを単なる暴力から、自己犠牲を伴う行為へと昇華させます 。


16.「勇気とは、ほとんど矛盾した言葉である。それは、生きることへの強い欲望が、死への覚悟という形をとることだ。」(正統とは何か)

解説: 恐怖を感じないのは勇気ではなく、無謀さです。真の勇気とは、死の恐怖を感じながらも、それを乗り越えて行動すること。チェスタトンはさらに深く、勇気の本質を「生きたいと強く願いながら、そのために死ぬ準備ができている」という逆説的な状態だと述べました。生きることに執着しすぎれば臆病になり、死を軽んじれば無謀になる。その両方を抱えることこそが勇気なのです 。


17.「人間は、理性によって導かれるべきだが、理性だけでは不十分である。信仰と理性の両方が必要である。」(正統とは何か)

解説: 理性は物事を考える上で不可欠な道具ですが、万能ではありません。例えば、「人生には価値がある」ということは、理性で証明できるものではなく、まず「信じる」ことから始まります。チェスタトンにとって、信仰は理性の敵ではなく、むしろ理性が健全に働くための土台となるものです。信仰なき理性は暴走し、理性なき信仰は迷信に陥る。両者のバランスが人間を健全に保つのです 。   


18.「人は、自分が何者であるかを知るために、自分が何者でないかを知る必要がある。」(異端者たち)

解説: 自己理解は、他者との違いを認識することから始まります。自分とは異なる文化、価値観、考え方に触れることで、かえって自分自身の個性や特徴が浮き彫りになります。自分が「何者でないか」を知るプロセスを通じて、私たちは自分が「何者であるか」をより深く、確信をもって理解することができるのです 。


19.「天使が飛べるのは、自分自身を軽く考えているからだ。」(正統とは何か)

解説: これは、謙虚さと傲慢さについての美しい比喩です。チェスタトンによれば、最も重い罪である「傲慢」は、自分自身を過剰に深刻に捉える精神的な「重さ」として現れます。悪魔が天から「堕ちた」のは、この重力のせいだと彼は言います。対照的に、天使が軽やかに飛べるのは、自己を忘れ、神を賛美する喜びに満ちているから。つまり、自分自身を「軽く」考えているからです。真の偉大さは、重々しさではなく、軽やかさのうちに宿るのです 。


20.「貧しい人々は感謝することができる。なぜなら彼らはそれを当然の権利だと思っていないからだ。」(正統とは何か)

解説: 物質的な豊かさは、かえって感謝の気持ちを失わせることがある、という逆説です。多くのものを持つ人は、それらを当たり前の権利だと感じがちです。一方、多くを持たない人は、太陽の光や一杯の水といった日常のささやかな恵みでさえ、それが「与えられたもの」だと知っているため、より深く感謝することができます。真の豊かさとは、所有物の量ではなく、感謝する能力にあるのです 。   


21.「人々が口論するのは、彼らが議論できないからである。」(イラストレイテッド・ロンドン・ニュース)

解説: 感情的な言い争いである「口論」と、真理を探求するための理性的な対話である「議論」は全く別物です。人々が感情的な衝突に頼ってしまうのは、多くの場合、冷静に筋道を立てて自分の考えを伝え、相手の意見を吟味する「議論」のスキルを持っていないからだ、とチェスタトンは指摘します。これは、知的な対話の重要性を訴える言葉です 。


22.「物事が本当に価値を持つのは、それが失われる可能性があるからである。」(ノッティングヒルのナポレオン)

解説: 私たちは、失うかもしれないという危機感があるからこそ、その存在の本当の価値に気づきます。当たり前にあるもの、永遠に続くと思っているものには、なかなか深い愛情を抱けません。故郷、家族、平和といったものは、儚く、失われる可能性があるからこそ、かけがえのない宝物として輝き、守る価値が生まれるのです 。   


23.「世界は、驚異の欠如によって飢えることは決してないだろう。ただ、驚異の念の欠如によってのみ、飢えるのである。」(途方もない些事)

解説: 問題は、世界がつまらないことではありません。世界は常に驚くべき神秘や美しさに満ちています。問題は、私たちがそれに気づく能力、つまり驚異の念を失ってしまうことにあります。日常に慣れきって、当たり前の奇跡に感動できなくなったとき、私たちの心は精神的な飢餓状態に陥るのです 。


24.「論理的に一貫していることは、必ずしも正しいことを意味しない。」(正統とは何か)

解説: ある考えが、その内部でどれほど完璧に筋道が通っていても、それだけでは「正しい」とは言えません。例えば、壮大な陰謀論は、論理的には非常に一貫していることがあります。しかし、その出発点となる前提が間違っていたり、現実の複雑さを無視していたりするため、全体としては狂気なのです。論理は真実を探すための重要な道具ですが、論理そのものが真実を保証するわけではありません 。


25.「人間が神を信じるのをやめるとき、何も信じなくなるのではない。何でも信じるようになるのだ。」(思想的要約)

解説: これはチェスタトンの思想を要約した非常に有名な言葉です。人間は、キリスト教のような包括的で歴史的な信仰体系を捨て去ると、完全に理性的で自由になるわけではありません。むしろ、信じる対象を失った心は、より非合理的で根拠のない迷信やイデオロギー、一時的な流行など、あらゆるものを無防備に信じ込むようになってしまう、という警告です 。


26.「私は、人がどう行動しようとも降りかかる運命というものを信じない。だが、人が行動しないかぎり降りかかる運命ならば、私は信じる。」(概して言えば)

解説: 運命はあらかじめ決まっているのではなく、自らの行動によって切り開かれる、という強い意志の表明です。チェスタトンは、宿命論や決定論を否定しました。彼にとっての「運命」とは、何もしなかった場合に訪れる必然的な結末のこと。現状を変えたいなら、ただ待っているだけでは事態は悪化するだけです。行動を起こすことによってのみ、その「運命」から逃れることができるのです 。


27.「もしある事がやる価値のあるものならば、それはへたにやる価値もある。」(この世界の何が問題か)

解説: これは、完璧主義に陥って何も始められない人々への力強い励ましです。専門家のようにうまくできなくても、その事が本当に価値あると信じるならば、不完全であっても自分自身でやってみることに意味があります。子育てや恋愛、趣味など、人生における大切な活動の多くは、専門家でなくても誰もが行うべきものです。失敗を恐れず、まず行動を起こすことの尊さを説いています 。


28.「良い宗教であるかどうかは、それについて冗談を言えるかどうかで試される。」(万事考慮に入れて)

解説: チェスタトンは、本当に深刻に受け止めているものほど、愛情のこもった軽やかさで扱えると考えていました。もし宗教が、冗談を言った瞬間に崩れてしまうほど脆いものなら、それは真に強い信仰ではありません。家族や親しい友人を愛情を込めてからかうように、真の信仰には、ユーモアを許容できるほどの健全な自信と親密さがあるはずだ、と彼は示唆しています。


29.「冒険とは、不都合を正しく捉え直したものである。不都合とは、冒険を誤って捉えたものである。」(万事考慮に入れて)

解説: これは物事の見方を変えるだけで、世界が全く違って見えることを示す典型的なチェスタトンの逆説です。例えば、旅先で電車を乗り過ごすという「不都合」は、見方を変えれば、予期せぬ街を散策できる「冒険」の始まりになります。人生の困難や面倒な出来事も、それを挑戦や新しい発見の機会と捉えることで、退屈な日常が刺激的な冒険に変わるのです。


30.「文学は贅沢品だが、フィクションは必需品だ。」(被告)

解説: 人間が生きていく上で、物語(フィクション)は不可欠なものだとチェスタトンは主張します。高尚な文学作品を読むことは、ある意味で「贅沢」かもしれませんが、物語を通じて勇気や希望、道徳を学ぶことは、食事や睡眠と同じくらい人間にとって「必要」なことなのです。物語は、私たちが現実世界を生き抜くための精神的な栄養を与えてくれます。


31.「『我が国よ、正しくても間違っていても』と言うのは、愛国者が絶望的な状況以外で口にするようなことではない。それは『我が母よ、酔っていても素面でも』と言うようなものだ。」(被告)

解説: これは、盲目的な愛国主義への戒めです。自分の国を愛することは大切ですが、だからといってその国が犯す過ちまで無条件に肯定すべきではありません。それは、母親を愛しているからといって、彼女が酔って問題を起こしているのを黙認するのと同じくらい不誠実なことです。真の愛国心とは、自国が間違った道に進んだときには、それを正そうと努力することの中にこそあるのです。


32.「意志のあらゆる行為は、自己限定の行為である。何かを選ぶとき、あなたは他の全てを拒絶しているのだ。」(正統とは何か)

解説: 真の自由は、何でもできる状態ではなく、何かを「選ぶ」ことによって実現される、という考え方です。例えば、ある人と結婚することを選ぶとき、あなたは他の全ての人と結婚する可能性を「限定」しています。しかし、その自己限定によって初めて、結婚という具体的な自由と幸福が手に入ります。何か一つの道に自らを捧げることで、意味のある人生が形作られるのです。


33.「キリスト教の理想は、試されて見込みがないと分かったのではない。難しいと分かって、試されずにきたのだ。」(この世界の何が問題か)

解説: これは「キリスト教は失敗した」という批判に対するチェスタトンの有名な反論です。「敵を愛せ」「貧しい人々に施せ」といったキリスト教の理想が実現されていないのは、その理想が間違っているからではありません。むしろ、それらの理想があまりにも崇高で「難しい」ために、ほとんどの人が本気で実践しようとさえしてこなかった、というのが彼の主張です。


34.「人は新しい理想を発明する。なぜなら古い理想を試す勇気がないからだ。彼らは熱心に前を向く。なぜなら後ろを振り返るのが怖いからだ。」(この世界の何が問題か)

解説: 現代人が常に「新しい」価値観や目標を追い求めるのは、進歩のためというより、むしろ伝統的な徳(勇気、誠実、自己犠牲など)という「古い理想」と向き合うことから逃げているからだとチェスタトンは指摘します。過去の知恵に学ぶことを恐れ、安易に未来への熱狂に身を任せる態度は、真の進歩ではなく、むしろ知的・道徳的な臆病さの表れなのです。


35.「詩人は頭を天国に入れようとするだけだ。論理家は天国を自分の頭に入れようとする。そして、裂けるのは彼の頭のほうだ。」(正統とは何か)

解説: これは、世界の神秘に対する二つの異なるアプローチを示しています。詩人(芸術家や信仰者)は、想像力や直感を通じて、自らがより大きな神秘的な世界の一部であることを受け入れます。一方、純粋な論理家(合理主義者)は、宇宙のすべてを自分の小さな理性で理解し、説明し尽くそうとします。しかし、無限の宇宙を有限な頭脳に押し込もうとすれば、その思考は破綻してしまう、という警告です。


36.「誤謬の開かれた罠に陥ることは、いつでも単純である。落ちる角度は無限にあり、立つ角度はただ一つしかないのだ。」(正統とは何か)

解説: 真理の上にまっすぐ立つことは、絶妙なバランスを要する難しいことであり、そこから外れて誤り(異端)に陥るのは非常に簡単だ、という意味です。例えば、キリスト教の真理は、神の正義と慈悲、人間の偉大さと悲惨さといった、逆説的な要素の均衡の上に成り立っています。その片方だけを強調すれば、簡単にバランスを失い、様々な形の誤った思想に「落ちて」しまうのです。


37.「私が人間である限り、私は被造物の長である。私が一人の人間である限り、私は罪人の長である。」(正統とは何か)

解説: これは、キリスト教的な人間観が持つ二重性を鮮やかに表現した言葉です。神の似姿として創造された「人間」という種全体として見れば、私たちは地上の被造物の中で最も尊い存在です。しかし、同時に、罪を犯す不完全な「一人の人間」として見れば、私たちは誰しもが救いを必要とする罪深い存在なのです。この両面を認めることこそ、健全な自己認識の出発点となります。


38.「自分自身を本気で信じている人間は、みな精神病院にいる。」(正統とは何か)

解説: これは、現代社会が奨励する「自分を信じる」という考え方への痛烈な皮肉です。チェスタトンによれば、完全な自信は、現実を客観的に見られなくなった狂気の兆候です。健全な精神の持ち主は、自分自身の弱さや誤りを認める謙虚さを持っています。自分は絶対に正しい、自分は万能だ、と思い込んでいる人こそ、実は最も危険な状態にあるのです。


39.「私は多くの幸福な結婚を見てきたが、両立可能な(相性の良い)結婚は一つも見たことがない。」(被告)

解説: 結婚の秘訣は、もともと相性が良い相手を見つけることではない、とチェスタトンは言います。そもそも、男性と女性は根本的に異なる存在であり、「相性が悪い」のが当たり前なのです。結婚の本当の目的は、その避けられない不一致や対立を、愛という情熱によって乗り越え、共に成長していくプロセスそのものにある、という逆説的な洞察です。


40.「今日あらゆる進歩を妨げている原因は、物事は改善する価値があるほど良くはない、と百万の耳に囁く、あの巧妙な懐疑主義である。」(被告)

解説: 世の中を良くしようとする行動を本当に妨げているのは、あからさまな悪意ではありません。むしろ、「どうせやっても無駄だ」「この世界は良くするほどの価値もない」といった、冷笑的な無力感やニヒリズムこそが最大の敵だとチェスタトンは指摘します。世界を肯定し、その価値を信じることからでなければ、革命的な変化へのエネルギーは生まれないのです。


41.「正気な人間についての安全な定義はただ一つ。それは、心に悲劇を、頭に喜劇を抱えることができる人間である。」(途方もない些事)

解説: 健全な精神とは、人生の深刻さや悲しみ(悲劇)から目を背けず、それを心で受け止めながらも、同時に物事をユーモア(喜劇)をもって客観的に眺めることができる、バランスの取れた状態を指します。悲劇だけに沈めば絶望に陥り、喜劇だけに逃げれば無責任になる。この両方を併せ持つことこそが、人間らしい成熟の証なのです。

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